SSブログ

モノサシ [ひとりごと]

0-1aaaa.jpg                           自分のモノサシはモノゴコロを持ったあのころから持ち始めたのかな。

 


【モノサシ】

 ランドセルの横っちょに布で作ったカバーに入れたモノサシは、

いつも縦笛と一緒に入ってた。

 

私のモノサシは、竹でできたみんなと同じ30㎝のものだったんだけど、

25,5㎝あたりに竹の節目があって、

目がギョロっと付いてるようだった。

その節目は、線を引いてみると何となくそこだけ「ボコ」っとヨレて、

引いた鉛筆の跡がヘラヘラと笑っているように感じた。

シッカリ線を引いてても、ヘラヘラ。

何だか自分を笑われているような気がしたけど、決して嫌いじゃなかった。

 

ちょうど今頃、冬の終わりころのことだった。

授業が終わって、掃除も終わり下校時刻。

ランドセルを勢いよく背負うと、

激痛ではないジンジンした感覚に襲われた。

右側に付けていた箱根のお土産のミニこけしが、

ヒジにちょうどぶつかっていたのだ。

その際によろけた私は、ランドセルの中身が一部飛び出したことに気が付かなかった。

そして、ジンジンヒジを左手で押さえながら下校した。

 

次の朝、登校してみると、

私の名前入りの細長い布ふくろが、くの字に曲がった無残な姿で机の上にあった。

袋から出してみると、見事に竹が折れ曲がってしまっていた。

どうやら私は教室の引き戸の間に落としてしまい、

誰かが悪いタイミングのところ開け閉めして「事故」が起こったようだった。

何だか悲しかった。

あのボコっとした節目のあるモノサシは、もう使えなくなってしまった。

「節目」もあったけど、あれが個性であり私はヘラヘラ笑われたんじゃなく

親しみ込めて笑っていたんだということに気が付いた。

 

後日、購買部で新品のモノサシを買った。

でもあの竹の製品は品切れで、

「これがいいよ」と購買部のオバチャンに勧められたのが、

プラスチックの半分透明のものだった。

それはとてもカッコ良かった。

それに、物凄く実用的だった。

何せ半分透けて見えているので、引いた線を透かして見ながら作業ができたのだ。

「すごいなぁーすごいなぁー」

私はその使い心地に喜んだ。

あれは例えれば、有能な秘書を持った気分だったのかもしれない。

そのうち、徐々に同じプラスチックの半分透明のモノサシを皆が揃えるようになった。

気が付くと数か月経ち、誰でも同じモノを持っていた。

「有能秘書率」は高くなったんだけど、私は何となくつまらないと思った。

失くしてみて初めて気が付いたくらい疎かったんだけど、

私はあのヨレたモノサシが結構好きだった。

竹の感触も温かかったし、

端っこの角が丸くなって一ミリ分くらい少なくなってるのも愛嬌があった。

でも、それで測ったら一ミリ足らなくなっちゃうだろう。

そう思ったんだけどあれの場合、

「完璧じゃないけど愛嬌のあるヤツ」にきっと分類されると思った。

一ミリ足らない部分はこっちでカバーしてやるぜ、くらいの気持ちだって持ってた。

 

「ナニカヲハカル」って、実は自分自身の中に備わっていくモノでもあり、

モノサシは自分の中に組み込まれている。

私はあの「節目モノサシ」との別れ以降、どんなモノサシを備えてきたんだろう。

学校のモノサシは算数や家庭科で使ったけれど、

自分のココロのモノサシは常に今でも何かを測ってるハズ。

きっと私は一ミリ足らない。

きっと私は角がすり減ってる。

きっと私はギョロっと節目があってゴツイ。

それでも、

他人と違うモノサシでいいんだと何処か深い場所で安心する。

 

 


 

【ひとりごと】

もう、いいんじゃないのかと最近感じたこと。

[A       ]のマネをし、機嫌を伺い数十年。

もう仰ぎみるものはそこじゃないっていうことを、みんないい加減気が付いたほうがいい。

[B     ]賞、日本人は騒ぎすぎてる気がする。

ニホンジンはもっと自分のモノサシを磨くべき。

 

オマケの反省。

先日友達と焼き肉ランチした時、十穀米のご飯残したのに持ち帰るの忘れてしまった。

はなちゃん用にお土産、次回からはちゃんと持って帰ろうっと。

 

以上、ひとりごとでした。(´-ω-`)

 


nice!(93) 

nice! 93

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。